日本の戦闘方法を体系化した古武道の歴史について検証

古武道という日本伝統の戦闘方法を体系化した武術があります。現代の武道のように勝敗を決するものではなく、実践的な形式をとっているのが特徴です。ここでは古武道の歴史について迫っていきます。由来からどのようにして変遷していったかなどについてまとめました。

古武道のルーツ

「古」武道というほどですから、そのルーツはかなり昔であることは推測できるでしょう。その起源は明らかではないですが、昔の書物の中にはしばしば登場しています。

大陸からの影響?

「古事記」や「日本書紀」は日本でもトップクラスの古い書物であることは、歴史で勉強した方も多いでしょう。実はこれらの書物の中にすでに武器に関する記述が出てきます。県や鉾、弓などの武器は大陸から伝来したといわれています。それとともに使用法も日本に伝わるようになり、これが古武道のルーツになったのではないかとみられています。

平安時代に体系化

それまでは漠然としたものだった古武道の輪郭がはっきりしてくるのは、平安時代のことだったとみられています。なぜこの事態に整備が進んだか、それは武士の台頭が大きく関係していると考えられます。この時代要人のボディーガードをする人たちが出てきました。このように武力を生業にした人が出てきて、その鍛錬のために古武道というジャンルが確立されたわけです。

伝統主義に変質

古武道はその後いろいろな流派に細分化され、それぞれ発展していきました。しかし江戸時代に入ると、実戦からは徐々に遠ざかるようになりました。

1400を超える流派が存在

江戸時代に入って、明治維新が起きる約250年の間に剣術や弓術、馬術など細かく細分化が進みました。この時代、古武術の流派は実に1400を超えるような状態になったといいます。一方17世紀後半、江戸幕府の体制が固まったあたりで伝統主義化しました。ほとんどの流派が他流試合を禁じられたために、実戦的ではなくなっていきました。むしろ心を鍛錬する手法として発展していきました。

明治時代に大きな転換

明治時代になると古武道は時代遅れであると広く認識されるようになりました。そのきっかけになったのは、1877年に起きた西南戦争です。この時警視庁抜刀隊が活躍して、薩軍に大勝しました。軍の後方支援にすぎなかった彼らは武士を破ったことで、剣術と柔術の訓練が警視庁で導入されるきっかけにもなったわけです。このように日本の武術は伝統的なものが脈々と引き継がれていたのですが、近代化が図られるようになりました。

まとめ

古武道の歴史はかなり古く、時代の変化とともに実戦形式から形骸化していって、心を鍛錬するためのツールになっていきました。さらに明治に入って近代化が進むとともに、武道の方式も新しく生まれ変わりました。その時々の必要性に応じて、武術も徐々に変化していったわけです。今後もその時代の要請に応じて、形式も変化していくかもしれません。そうすることで時代の荒波を乗り越えていくでしょう。